あいさつ

この度「かいらぎ山岳会」の総会で会長職の若返りとのことで、会長職を仰せ付けられました小柳です。結構な年齢だと思っていますが、次の若手へのバトントアラーとして勤めさせていただきます。前会長の高橋さんは山のベテランであり、当山岳会の設立当時から尽力されてこられました。この会が今日あるのは、まさに高橋会長が居られたからと心から感謝申し上げます。
今年は、飯豊連峰縦走の計画も予定されております。「かいらぎ山岳会」はベテランの多い会ですが、成功には万全の準備が必要となります。多くの参加者を集い必ず成功させるために会として全力で取り組みたいと考えております。私どもの会が活発に活動していくために、皆様の活発なご参加ご指導をよろしくお願い申し上げます。

 
 ◎ 昭和20年生、39年卒、64歳年金年齢です
◎ 自営業(社会保険労務士)開業40年、息子と共に現役で働いております
◎ 持病があり現在は登山はやっておりません、ひらば(しん道?)遊び程度です
◎ お酒は程々(時々意識が無くなります)のお付き合いをさせていただいております
◎ 飯豊山行には車両隊で参加頑張ります
 
 
 

あいさつ

この度、かいらぎ山岳会の総会において、副会長の任務を仰せつかり、その任の重さに、少々戸惑いを覚えているところですが、小柳新会長の下に決した事については、真摯に受け止め、諸先輩の築いて来た、かいらぎ山岳会を将来に繋げて行く為にも、会の発展と存続に、少しでも貢献出来るよう、微力ではありますが、がんばって参りたいと思っております。
  又、今年度は、「飯豊連峰縦走登山」と言う、大きなイベントも用意されています。小柳会長の下、役員一同、一丸となって、事業の成功を成し遂げるべく、最大限の努力を傾注し、新会長の補佐役を勤めて参る所存でありますので、どうぞ宜しくお願い申し上げます。

 
 ・昭和四十年、十七回卒業  62歳  自営  孫 四人 (男ばっかし)
・まだまだ現役で働いています。 (なかなか退職する事が出来ません)
・生まれてから此の方、新発田から出たことなしの、新発田っ子。(四年間だけ武者修行に出る)
  十年程前より山を登り始め、現在まで続く。 (続くのは、これ位かなあ・・・)
・持病・腰痛・痛風・健忘症(最近、物忘れがヒドイ・・・)
・仲間と酒を飲み交わすのが大好き、晩酌は十合?くらい(肝臓はいたって丈夫)
・古い物を見ることに興味あり。 (骨董品・古民家・神社仏閣・古道具・盆栽)
・動けるうちに四国八十八箇所歩き遍路・熊野古道を歩いてみたい・ごくごく普通の前期高齢者で
  ございます。
 
 
 

あいさつ

昭和45年(第22回)卒の林 茂樹です。このたび、地元在住の若手代表として副会長という身に余る大役を仰せつかりました。かいらぎ山岳会の長い歴史は、多くの先輩諸兄の血のたぎるような熱き思いや、雄叫びを上げるような歓喜や感激、そして深い悲しみや,もがき苦しんだ歴史です。その万分の一でも受け継ぎ伝えていくのが課せられた使命と考え、会への貢献も語るべき山歴も何もない私ですが、20代30代といった本当の若手
が一人でも多く会に参加していただけるように微力を尽くす所存です。会員の皆様お一人お一人のご支援を心よりお願い申し上げます。

 
 二王子山のふもとで生まれ、わざわざ山岳部に入らなくてもいいようなものでしたが、山岳部に入ってしまい高校時代は山に明け暮れていました。東京での学生時代は加藤文太郎に憧れ北鎌尾根を夢見ましたが、百年たってもお前の行けるところではないと一笑に付され、冬の八ヶ岳や甲斐駒、仙丈あたりを一人でほっつきまわり、いっぱしのアルピニストを気取っていた軟弱者です。28歳で帰郷し、現在母校にほど近い五十公野で共稼ぎの妻と老犬とで暮らしています。五十公野山がホームグラウンドと言う情けない状態でしばらく山とは遠ざかっていましたが、昨秋は十年ぶりになんとか焼峰に登ることができました。これを機にもう一度山を始め、今年は蒜場に行ければいいなあと思っています。