新潟県立 新発田高等学校 山岳部OB会 |
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この扉は、「思い出のアルバム」と言うタイトルで皆様方の昔の懐かしい写真を掲載することにいたしました。 どうぞ皆様が必ずお持ちの写真を積極的に投稿してください。お宝の写真にコメントを添えていただければ 直ぐに更新いたします。また、もう一つは「今昔物語」のコーナーです。思い出の多い合宿生活・苦しかった事・ 楽しかった事・国体に参加した時の事・などなどを取り扱いと思います。また、失敗した事・事故を起こした事・怪我 をしたり色々な事がありました。そんな思い出を語って頂きたいと思います。 |
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時の精鋭メンバー
一路一王子へのルートを登る |
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尾根の取り付き地点 猛烈なラッセルが始まる
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苦労した末幕営地でテントを張る
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芝高の天幕 |
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学校発6:00 大荒川ドライブインから歩き出す7:15 西小倉沢出合12:30 三十三間の滝14:10 一の峰 17:05 一の峰で「バンザイさんしょう」と書いてありました。 自転車で新発田に着いたのは、8時頃 だったでしょうか。リタイヤした坂上と付き添いの島津も無事帰っていました。杉浦先生、家族に大目玉。 |
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五頭山 一の峰山頂にて万歳 |
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一の峰山頂でゆっくりと休憩
食料をほとんど食べ尽くし、「頂上に着いたら食べよう。」
と言っていたミカンの缶詰を開けているところ。缶詰を開ける山田さんの手元にみんなの視線が集中しています。 |
小ヤゲンを抜ける島津(51卒)
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これは翌年の大荒川本流の写真。
2年生5名が本流と西小倉沢の2隊に分かれて大荒川にリベンジ。
キャラバンシューズで登った1年も経験を積み、2隊とも余裕を持って成功。
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大荒川本流を遡行する |
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在籍中、部としては3度七滝沢に入りました。この写真は、3度目の古川、小川の2名によるもの。 当時、七滝の上下2カ所にロックフィルダムを建設し、夜間電力を利用した揚水式発電所を建設する計画が 新聞で報道されました。まさに、七滝の落差を利用しようとした発電所です。 「七滝もこれで最後だ。」とのことで、2名で全ての滝の写真を撮り完全遡行図を作ろうと出かけました。 完全遡行図は、山田弘二さんの「登高記」に収録。写真は、山田さんの手元にあると思います。 この遡行では、幕営地を北の沢付近と考えていました。北の沢に近づくと機械音がします。沢から登る踏み跡 をたどるとプレハブの飯場が!…。ダムの調査のための宿舎でした。飯場の人に「高校生が上がってきた。」 とびっくりされましたが、こちらもビックリ。いつしか計画も中止され、七滝の偉容が残されたのは幸運でした。 |
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快調に進む古川の姿 七瀧澤で小川・古川(51卒) |
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温み平から休み場上のC1への荷上げ・合宿中、終日の晴天は大日岳を
往復した1日だけで後は、雪・雪・雪・・・・の毎日でした。 |
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大日岳往復の翌日、1800m付近の雪洞から一気に 温平小屋に下山した
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1400m付近で、こんな巨大な雪庇は初めて見た
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ルベツネ山から南望したぺテガリ岳 (1736.2m)です。稜線上は 踏み跡程度の道しかなく、這い松 やダケカンバの木登りで遅々として 進まず苦労しました。
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コイボクシュシビチャリ川無名沢です。 40cm超の岩魚が泳いでいてわれわれ がバシャバシャ入っていっても逃げずに 悠々と泳いでいたのが印象に残っています。 まだまだ秘境が残っている時代でした。
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カムイ岳北東尾根1500m付近に築いたABCです
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カムイ岳から南望したエサオマントッタベツ岳(1902m)
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