今は、飯豊山荘へは車で行けるほど道路が舗装され整備されていますが、昔は、長者原で バスを降り、玉川を対岸に渡り澤を何本か超えて温身平へ向かいました。その途中で良い 休憩地として、旭又の瀧がありました。その時々によって違った顔をして我々を迎えてく れます。その写真を見ていると、その当時の山行が思い出されます。
 
 昭和33年(1958)8月20日
 
 
昭和30年9月7日
昭和39年8月3日
 
 昭和40年(1965)8月5日
 
 
 ・昭和61年8月9日(土)晴れ
・同行者・・・妻・長男(17歳)・次男(12歳)
・飯豊山荘に前泊(素泊り¥1,500円)
・昔、小屋があった所は今は車道となり、ダム工事の最中だった。
・今日のコースは、飯豊山荘~温身平~石転び雪渓~カイラギ小屋(泊まり)
 
 何時の時代も変わらない雄大な石転び澤
 
 

・子ども達は、雪渓歩きが楽しいような歩き方だった。残雪期の五頭山や二王子岳でグリセード  が出来るようになったので、急な斜面も怖がらずに登っていた。 ・4本爪のX型アイゼンを装着し、ゆっくり歩けばスリップの心配も無く、快適に雪渓を登る事ができた。

 

・北股岳頂上にて記念撮影

・カイラギ小屋は、大変込み合っており、 4人で来たが2人ずつ離れた所で寝る ことになる。(素泊り¥1,000円)

・夜中には、強風が吹いていたので、テント の人達は大変だっただろう。

 

・8月10日(日)晴れ
・第二日目は、カイラギ小屋~北股岳~門内岳~扇の地神山~梶川尾根~飯豊山荘(泊まり)

・北股岳山頂からは、360度の展望が素晴らしく今でも忘れない。
・北股岳への登山道脇・門内岳周辺のお花畑が沢山の高山植物で素晴らしかった。
・梶川尾根からは、石転び澤の雪渓が、急な角度で立ち上がっているのが眺められた。

 
 
八月でも残雪が多い石転び澤
1,450m『三本カンバ』ほっとする休み場
 
 
 蒜場山は、5月の残雪期でないと登れない山でした。毎年5月の連休を利用して蒜場山に登のです。小俣 澤の残雪のつき方によりますが、決まって5月3日~5日までの間に蒜場山へ雪上訓練を兼ねて山行計画を立 てるのです。一番の難問題は、何んと言っても銚子の瀧を登る事でした。毎年瀧の右岸からとっついて瀧の上 部に出るのです。大変な部分は30m位でしたが、全体では約50mくらいと思います。必ず全員が瀧を登り終わ りますと一休みをしてから、頂上に向かいます。下山は、グリセードで一気に瀧の上部まで下ります。登りと 同じルートを安全に下降します。芝高在学中に3回は経験する蒜場山登山です。
 私はこの集合写真を見て、山行の記憶は全くありません。しかし、自分は立教大学山岳部で新人合宿が終わ り意気揚々と帰郷して芝高山岳部を訪ねて多分、大いに威張って参加したものと想像いたしました。
 現在は、『米平新道』として10年ほど前に下越山岳会が登山道を切り開き、冬季間以外は登り約4;40・下り 約3:10の日帰り登山として人気上昇中のスポットです。
 
 山頂にて記念撮影    (昭和31年5月5日 杉浦先生撮影)
 
 
昭和29年5月3日 銚子の瀧すぐ上部
銚子の瀧上部は急斜面(昭和31年5月5日)
 
 
ザイルを2本固定して銚子の瀧を登る
頂上も近くなる
 
 
 
自分が高校2年生のときの夏山第二合宿は、朝日連峰の縦走でした。3学年先輩の杉浦吉弘さん故小林勇二郎さん が参加されました。詳しい事はほとんど記憶にありませんが、昔の写真を掲載いたします。しかし、高校生の登山 スタイルやバスを降りたとき・朝日岳の山頂での記念撮影は、懐かしく思い出されます。同行したメンバーの仲間 たちの事などの記憶が蘇えってきます。(山行記録は、部報焼峰12号に掲載されております。) 
 
 
昭和31年7月24日 ガタガタ道でした
大朝日岳山頂にて
 
 
朝一の絶景を眺めながらの縦走
故小林勇二郎氏のポーズ
 
 
大鳥池での記念撮影  (昭和31年7月25日)